火曜日の街


 その日は朝からからっからに晴れていて、先日に降った雨はあとかたもなく乾いてしまっていました。まっくろなコンクリートの上には 太陽の影がちろりちろりとおどっております。その隙間から顔を出した雑草はふわりふわりとひかりながらゆれています。そのうえをいろとり どりの傘のはながとおっていくのをみながら、学生服すがたの青年はため息をはきました。ためいきはのぼっていって、あんまりにまぶしい太陽にかきけされてしまいます。そのゆううつさ、ものがなしさ。
 青年の右手にはキャンパスのはいったかばんがおもく、ゆれています。
 青年はそれを持ちなおすとまっくろなみちをあるきはじめました。いち、に、いち、に 。歩数を数えながらあるくコンクリートはふしぎとまぶしくてどうやら子供のわらいごえがするようなので、ああ今日はほんとうに晴れているんだなと青年はおもいました。
 とおくからかーん、かーん、という澄んだおとがした気がしました。


 青年がそうやって学校へあるいているのと同じころ、街のまんなかからすこし南にいって、みっつのかどを曲がったところにある家では双子が ちょうど眠りからめざめたところでありました。とけいのじりりりり、という音といっしょにねじをまわしたからくり人形のように飛びおきたふた りは、ぼろぼろの藁の寝床からでると大慌てでお気に入りのレインコートと長靴をはいて外に飛び出しました。というのも火曜日には街外れに鍛冶屋さんがやってくるのです。
 双子は名前をホシとユメといいまます。ふたりとも見分けがつかないくらいそっくりな顔をしていましたが、ホシはおとこのこでユメはおんなのこです。ホシはあおぞ らのいろのレインコートがおきにいりで、ユメはゆうやけのいろのレインコートがおきにいりでふたりは今日みたいに晴れた日もかならずそれを着ていきます。二人はい つも一緒で、いうこともそっくりなのですが、二人はひとつではありません。
 二人はコンクリートのかたい道を元気よく走っていきます。ひかりにあふれた商店街をとおるといろんなひとが二人をわらいながらみおくってくれました。八百屋さんで はおじいさんが皺だらけの顔をもっとくちゃくちゃにして手をふり、魚屋さんでは若いお姉さんがにやりしんがら包丁をくるりとまわしました。
「またあの鍛冶屋さんのところにいくんだね」
「いってらっしゃい。かえったら私にもひかりをちょうだいな」
どんどんはしっていくとだんだん家や電柱の数は減っていって、コンクリートもなくなります。あっというまにまっくろなみちがやわらかな土の道に回るとそこ はもう街はずれです。街外れにはふかい、ふかい森が広がっていてそこには街のひとたちもしらないいろんな生き物や気体がひしめいているので、けっして入って いけないといわれています。ですが、火曜日にはその森と町のさかいめのちいさなくさはらにどこからともなく鍛冶屋がやってきて桑や、バケツや、蹄鉄や、いろ んなものを打っているのです。双子はそれをみにいくのが大好きでした。
 この日も二人は鍛冶屋さんの小屋につくといつものように一方的に挨拶をして(鍛冶屋さんは無口なので返事をしてくれません。たぶん、 恥ずかしがり屋さんなのです)、それから小さな瓶を手にもちました。鍛冶屋さんはとってもおおきい熊のような男のひとで、火曜日になると どこからともなくうまれる仕事小屋のなかで黙々と仕事をしています。ずいぶん前に二人は彼にいったいどこからきているのか尋ねてみたこ とがありましたが、めずらしくわらいながら「空のあおいところからさ」といってそれ以上はなんにも教えてくれないので、二人はきっと彼はかみさまのおつかいなんだろうと思っていました。
鍛冶屋さんはたくましい両腕で鎚をえいや、と振り上げてそれから一気に真っ赤な鉄にたたきつけます。するとかーん、という澄んだひかりのような音がして、ばちばち と火花が飛び散って地面の上をどこまでもどこまでも駆けてゆくのです。それを追いかけてつかまえるのは双子の仕事です。火花は鉄と鉄がぶつかった瞬間、残像のよう な足を生やして草の間をぱちり、ちかりと転がるように逃げていくので双子はそれを追いかけて小屋の周り中を走り回って、瓶のなかに集めていきます。ひとつ捕まえた と思えばまたかーん、と音がして火花が走ってくるのでまた双子もそれを捕まえようと転げまわっていきます。森からは冷たい風が緩慢にながれてきますが火曜日はいつ もお天道さまがまぶしいので、ぱちぱちと視界のはしで弾ける火花を追いかけているうちに二人はもうすっかり汗だくになって、レインコートも長靴もほうりだしてしま いました。昨日まで雨の降っていた地面なのですぐに素足も泥だらけになります。
 そうしているうちに街の時計塔が昼ごはんを知らせる鐘を鳴らしているのが聞こえてくると鍛冶屋さんも仕事の手を休めておおきなお弁当を食べ始めます。双子も泥や 汚れをとってもらってから、鍛冶屋さんのとなりで鍛冶屋さんが用意してくれるちいさなお弁当を食べます。お弁当には街ではけっして手に入らない不思議な青い色の木 の実や、チョコレートのようにとける羽や、一口食べるだけで身もこころも透きとおってしまいそうななにかの肉なんかが入っていてそれも双子の楽しみのひとつでした。
 午後になると鍛冶屋さんはまた仕事を始めますが、双子は街に戻りました。というのも、鍛冶屋さんのところで火花を集めたら今度はそれを街いっぱいに降らせなけ ればいけないからです。大昔、火曜日は戦争の日で、たくさんの炎が人を焼きました。けれども今は違うのです。戦いの代わりに火花をかざるお祭りの日なのです。
 二人が来た道を戻りながら瓶いっぱいに詰め込んだ火花をひとつ、またひとつと投げていきますと太陽のまぶしいひかりにもまけずに大笑いをしながらコンクリート の上を跳ねまわっていきました。きっと夜には立派な花火を咲かせることでしょう、二人はたのしくなって火花にまけじと笑いながらどんどん道を歩いてゆきました。
 商店街ではさっきの八百屋さんや、魚屋さんや、遅い昼休みをとっている会社員やとおりすがりの猫やカフェのパラソルまでもがきらきらと、きらきらと二人を出迎えました。
 二人が小瓶のなかの火花をちいさな手ですくって、空を目がけて投げ上げますと商店街のひとびとは楽しげにそれを目でおいかけたり、手で救ってみたりします。
「そうれ、しあわせははなひらけ」
 とホシ。
「そうれ、かなしみははなひらけ」
 とユメ。
 そのとき野良猫が一匹、火花に飛びついたかと思うとそのまま食べてしまいました。二人がびっくりしながら見ていますとはじめは不思議そうな 顔をしていた猫は火花とおんなじ橙色のひかりをだして、しばらく金色の目をちかちかさせていましたが翼のようなものを背中から生やすと弾ける ように跳躍して、そのまま高く、高く空のあおいところへと飛んでいってしまいました。二人は顔を見合わせると、やっぱりおもしろくて笑いました。
 二人は街じゅうをぐるりとひとまわりしました。あおい川では火花からうまれた川のおひめさまに出会い、カフェではすっかりパラソルの上が気にいって動かなくなった火花に出会いました。
 やがて瓶のなかの火花が最後のひとつになると二人は家路につきました。最後のひとつは水にとかしてのもうと二人は考えていました。火花をとかしたというめいな水はとってもこうふくな味がするのです。
 そうして二人がコンクリートの道を歩いていると、空き地をぼんやりみつめながら青年が佇んでいました。来ている服からしておそらく学生なのでしょうが、どうし てこんなところにいるのでしょうか。二人がかけよるよりも早く、青年はゆっくりとふりかえりました。
 片手に大きな紙袋を持った青年は年は十六、七歳といったところでしょうか。少し髪が伸びていて、まばゆい日差しとどうにもちぐはぐな佇まい だったのでおそらくあまり外を出歩くようなたちではないのでしょう。
 双子がそばをとおろうとするのをやはりぼんやりとした様子でみていましたが、ふと二人が持っている瓶に目をとめるとなにかに気付いた ようににわかに黒い瞳がはっきりとしたひかりをうかべて、顔に生気がでてきました。
「ねえ、君たち、その手に持っているものはなに?」
 青年がすこしどもりながら尋ねると双子は顔を見合わせて(二人の癖なのです)から声を揃えて答えました。
「火曜日の鍛冶屋さんの火花だよ」
「街外れの鍛冶屋さんの火花だよ」
「鍛冶屋さん? その火花をくれるの?」
「そうだよ。鍛冶屋さんが鉄を打ったら火花が笑うの」
「そうだよ。鍛冶屋さんが鉄を打ったら火花が走るの」
「だからそれをぼくたちがあつめるんだ」
「そしたらわたしたちが街にふらせるの」
「ねえ、君たち、よろしければ僕にその火花をくれないかな」
 ホシは首をかしげました。ユメは首をかしげました。
 二人は顔を見合わせました。火花ののみものはふたりの火曜日の大切な楽しみですが、目の前の青年はそれはもうまっすぐに、不安げに二人をみています。
「いいよ、あげる」
 言ったのはホシでした。
「いいよ、あげるよ」
 ユメも言いました。ふたりが瓶ごと火花を青年に渡すと、青年はありがとう、ありがとうと言いながらくるりと背を向けて走り出して、思い出したように立ち止 まると「できたら君たちにも見せるから!」とひとこと振り返って叫んで、また大きな紙袋をふらふらさせながら走っていってしまいました。
「不思議な人だね」
「残念だね」
「うん残念。でもしかたないよ、火花は僕たちのものじゃない」
「うん。火花はどこまでもはしっていくからね。きっと火花のしあわせだね」
 二人は空っぽの手をふらふらさせながら、また歩き始めました。
 家に着くころには太陽も傾きかけていて、空気がいちばん熱くなっている時間でした。
 二人は家の屋根にのぼると空を仰ぎながらお天道さまのなまえを呼びました。するとまっきいろの太陽のから低くてやさしい声が二人に答えてくれるのです。 二人をそれをおとうさんだと思っていますがほんとうのところはわかりません。
 二人はいつものようにあったことをかわるがわる話し続け、太陽はぽかぽかと胸をくすぐるような声でたのしげにそれにこたえました。
「ホシがおとこのひとに火花をあげたの」
「ユメはおとこのひとに火花をあげたくなかった」
「でも火花がかけていきたそうにしていたからあげたの」
「ほしのみずはおいしいから。でもしあわせのあじは火花がひかっていないとしないから」
「それで二人はふしあわせになったのかな」
「わからないよ、ふしあわせなあじなんてしらないから」
「あおぞらのあじがかわっていないから、きっとしあわせなんじゃないかな」
「わたしはきっと、そのひともおなじきもちだとおもうよ」
「おとうさん、いいことってなんだろう」
「ホシもユメもじぶんがいいことをしたのかわるいことをしたのかわからない」
「さぁなんだろうね。それでもいっぱいいいことをしていきなさい。そのときのまっしろな、きみたちの波みたいなこころはほんとうなんだからね」
 太陽の顔はあまりにまぶしくて見ることはできませんが、きっと笑っているのだろうと二人は思っています。


 さてはて、火花をもらった青年は運動に慣れない体をがむしゃらに走らせて学校に(青年は午後の学校をさぼっていたのでした)もどり、すぐに自分のすみか である美術室に飛び込みました。石膏像のほかは誰もいない部屋はしんとしずまりかえっていて油絵の具や気のにおいがむ、とたちこめています。小さな窓か らは青空がのぞいていてしんしんと、しんしんとあおいいろが床につもっていきます。
 青年は上がってしまった息もそのままに部屋の入り口につったっていましたが、やがてなにかをきめたように油絵の群にはいっていきいちばんそのあおいろの濃 いところにおかれた絵の前に立ちました。そこには何度か絵の具が塗りたくられたあとがありましたがまだなにも描かれてはいません。いいえ、ありとあらゆる絵 の具が混ぜこまれてなにかしらの物体が描かれてはいました。しかしそれはまだ存在のなりそこないといってしかるべきもので猫のようにも少女の横顔のようにも ひらけた暗闇のようにもまだ見たことのない奇怪な神のようにも見えます。
 青年は慎重に瓶のふたをあけるとなかに油と、火花と真逆の青い絵の具をほんのすこしだけ垂らしました。体がどうにもほてっていて妙に硝子がぬめりと生きて いるようなのは、ただ彼が走ってきたためだけでしょうか。ばちん、ばちんと火花が身をよじるようないびつな音がして瓶のなかが一瞬ぱあっと明るくなると、あ とは夕焼けのいろをした泡がぷくり、ぷくりとなかで膨れてはつぶれていきました。
 青年はおおいそぎで愛用の筆をとると瓶のなかにいれ、素早く泡をキャンパスへと塗りつけました。
 ちかちかと筆を乗せたさきから星がうまれてころころと床までころがっていきました。それが青年の上履きにもあたってちりぢりにくだけてしまいますが、彼は 気にすることもなく一心不乱に、それはもう憑かれたような形相で筆をどんどん動かしていきました。
 青年は絵のなりそこないがすなわち自分そのものだと知っていました。どうして絵を描かねばいけないのかそんなことはどうでもいいのです、ただもう何週間も 前からずーっとなりそこないだけがそこに立っているので青年にはそれがどうにも気持ち悪くてまるで合わせ鏡でも覗いているような塩梅で、なんとしてでもこの 絵を完成させてしまわねばならないという思いだけが今はただただ彼のなかにはありました。
事実、彼は憑かれていたのでしょう。必死に筆の先を睨む眼はまばたこうともせず見開かれていて、唇はぎりぎりと噛みしめられていました。青いいろが積もって ゆきます。火花の絵の具は、双子がこうふくの味がするといったものはどんどんキャンパスのうえに塗り重ねられていって巨大な一艘の船を形作っていきました。
海のうえをはしる、橙色の竜骨があきらかになっていくにつれて青年は自分のこころが安らぐのを感じました。船は果たして青年そのものだったかは定かではあり ませんがそれでも絵の完成が近付くに連れて彼の表情もみるみるうちに穏やかな凪のようなものへと変わっていきました。
日はもうすっかり傾いていました。美術室に入り込む日差しもその色と角度を変えて影が長く、長く伸びました。火曜日のながったるい授業の終わりのチャイムも 廊下を走り回る生徒の声も聞こえたはずでしたがそれらも全て過ぎ去っていました。不思議と他の誰かが美術室に入ってくることもなく、美術室は相変わらず静 かです。くらい静寂のなかに青年の息遣いと筆を 走らせる音だけがなんとも寂しく、孤独に響いています。
 落ちていく夕暮れの日のなか、とうとう青年は最後の一筆を大海のきらめきの一点の上に置きました。
「完成だ」
誰に宣言するでもなく青年は呟きます。落陽のひかりのなかで見れば絵とひかりはすっかり溶けこんで船はまるでそのひかりのうえを滑り出しそうな気さえします。
青年がそのさまを思い浮かべながら瞬く、その刹那だったでしょう。ふと画面の上をきらきらとした火花が走った、と思うと橙色の炎が走りそのままキャンパスが 弾け飛びました。ちかちかと目が痛いと思うころにはもうそこにはなにもなくて、火花の絵の具も小瓶ごと消えていました。
外からふと烏の啼くしわがれた声がして、青年はようやく全てが終わってしまったことを悟ったのでした。


港からもうすぐ船が出ます。街の西側の小道をどんどんゆくと小さなトンネルがあってとおりぬけるとちいさな波止場があります。夕焼け のなかをいままさに出ようとしている船を双子は手をふりながら見送っていました。もうすぐ日が沈みます。
そこに青年が並びます。
「この街に海があるなんてしらなかった」  海をみつめるその顔はとても疲れていましたがどこか晴れやかでした。
「街のひとはみんなしらないの。トンネルをとおれないんだ」
「ホシとユメだけがしっているの。お父さんを見送らなくちゃいけないから」
 二人はたのしそうに笑っておりました。青年はなにかを納得したように頷いて、重い汽笛を鳴らしながらゆっくりと海の上を滑り出す船に自分も手を振ります。
「火花、ありがとう。無理を言ってごめんね。あれを使って描いたらきっとうまくいくだろうと思ったんだけど、いやうまくいったんだけど、結局だめだった」
「ううん、気にしない」
「ううん、気にしない」
「お父さんがね、『きっと君は見つけるだろうから』って」
「お父さんがね、『きっと君はうしなうだろうから』って」
「ありがとう」
 濃い潮のにおいが夕凪のなかでゆっくりと夕日にしみていって、波の音が絶え間なくくりかえしていました。青年はその光景を食い入るように見ていましたが、や がて、唐突にその姿はそこから掻き消えてしまいました。
 双子は手をつないで波止場に立っています。広い、果てしない海の最後には水平線があります。太陽がゆっくりと身を沈めるそのむこうにはいったいなにが あるのか二人はまったく知りません。そこに無限がつらなっていることを二人は知りたいとも願わないでしょう。船はもうすっかり小さくなっていてその姿は とても孤独にみえます。双子は握り合う手のちからを強めました。
「ばいばい、お兄さん。多分もう会えないよね」
「ばいばい、お父さん。また明日会おうね」
「会えないのはさびしいよ」
「そばにいるのはさびしい」
「ばいばい船、きっとあなたはどこまでもゆかない」
「ずっと一緒にいよう。これからもずっと」
「海がこわい」
「さようなら」            
      
    

               2011年秋 別名義にて一時掲載

   

  
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